
2.22025
腹の痛みに苛まれた朦朧とする意識の中で、亡くなった姉のことを思い出す。最後の顔も見れず見送ることもできないもどかしさ。親はいつかはこの日が来るものだと覚悟をしているものだが姉弟は違う。いつまでも一緒に居るものだと信じている。85歳といえば立派な老人である。そして大往生でもある。しかし姉弟という感覚は歳などと言うものは関係ない。ショック、悲しみはまた親とは違うものである。病床の中、食事のときも、寝転んで天井を見上げる時もふと姉のことを思い出し涙があふれた。あんな事があったこんな事があったではなく、また違う感情である。帰郷するたびに家に泊まらせてもらっていた。その帰り際いつも手を振って見送ってくれる、その姿を思い出してしまうのだ。見送るその道筋は、いい意味ではいつまでも手を振り別れを楽しめる絶好の長さなのだが、逆に言えば未練が残ってどうしょうもない長さでもある。まだ手を振っている。多分見えなくなるまで振っているのだろうといつも思っていた。その時の姿ばかりが目に浮かぶ。一人暮らし、「またね、ありがとう」の手振りではなく「寂しいな」の思いだったのだろう。「また来るよ」いつもそう思いながら手を振り返したものだ。もう逢えない。悲しくてどうしょうもない。
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