満月散歩

柿 Ⅱ

このあいだ柿のことを書いたが、思い出をもう一つ。柿の収穫をせずに放置したままの木に熊が登り器用に食べている映像をよく目にする。私は戦後まもなく生まれた世代。食べるものがなく柿などは熊と同じくむさぼるようにして食べたものである。甘柿はほとんど次郎柿か富有柿になってしまっているが、昔はたくさんの種類があった。わが家の畑に植わっていたのは4種類くらいでその1個は渋柿。従弟のSちゃん宅にはもっと沢山あった。「これは東京柿」などと勝手に名前を付けていたのは恥ずかしい思い出。わが家には「サイケン」という名の甘柿があった。少し早生ものだったから貴重で祖母などは日頃世話になっている人たちの使い物にしていたくらいである。学校の帰り、畑のお茶の木の間を這って行き、よその家の柿の実を黙って頂戴もした。桑の実も、野イチゴも、まだ青い梅の実までも食べた。学校から帰るとカバンを放り投げ、冷たい残りご飯に醤油をかけて食べたり、柿などの果物でお腹を満たしてから遊びに行った。周りのみんなも同じ、本当に貧しかった、。裏のTちゃんの家にはまた違う小ぶりの柿があり、私たちはその木に登り枝に腰かけ、まるで猿のようにむしゃむしゃである。その1個上のTちゃんは今身体を壊して施設にいると聞く。この頃の思い出は昨日の事のように鮮明に覚えているが、老いてしまうと、過ぎ去った日々と時間があまりにも早く虚しいものだとつくづく思う。

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